ようこそ、中年時代

とっくの以前に二十代は過ぎた。
脂肪と弛みを手に入れた代わりに、謙遜と繊細さを失ったように思う。
逞しいおばちゃんは、こういった酔っ払った終電帰りに、繊細さを取り戻し、こうして駄文をしたためている。恥ずかしい事だけれど。
明日も仕事だけれど、なんとかなるだろう。

二十代の頃の目指していた大人の姿、もしくは最悪を想定し、覚悟していた大人の姿のどれにも当てはまらない今の姿に、戸惑っていたりする。
昔から今に至るまで、大した狂気も才覚も持ち合わせず、絶妙にズレた価値観を大切に持ち続けて生きている。

先日、ニコのドキュメンタリーをYouTubeで鑑賞した。
https://youtu.be/R1vkiQdEU7M
その中で、インタビューに答えてた1人が中年になった彼女に対して「彼女はただの、メランコリックな中年ジャンキーさ。痛々しいね。」
と言ってた(朧げな記憶だが)ので、泣きそうになった。
彼女が若い頃は、その不安定さも魅力で、ミューズとして持ち上げられていたのに。哀しくてやりきれない。

そういや、鈴木いづみの死の直前の手紙にも、「そろそろ生活を立て直さなくては」という文脈の文言があり、これにも泣けた。

彼女達が彼女達のまま、無軌道に奔放に生き続けて、賞賛される道は無かったのだろうか。
自己の繊細さと、付き合い続けるのは非常にしんどい。
忍耐力も真面目さも、真摯さも無い私は、早々に繊細を投げ捨ててしまった。それで良かったとも思ってる。

若く美しい人物の繊細さ、不安定さは芸術となり、賞賛される。だが、期限付きであるらしく、中年以降は、安定したメンタルを保ち、生活を保たねばならぬらしい。哀しい事だけれど。

私の性格的に若い時よりも、おばちゃんとして生きる今の方が、生きやすい。繊細さは、たまにこうやって、持ち出して弄ぶ程度の付き合いがいい。
だけれども、ニコの調子外れな歌声を聞くたびに少し泣きそうになる。