結局、無責任

私には、座右の銘が二つある。
「この世はタイミングにC調に無責任」
「やめちゃえいっそ嫌なことなんて全速力回避せよ」
力みすぎてる時や、考えすぎている時に、この言葉を思い出して、気分を転換するのだ。
身軽にふわっと生きることに、憧れを抱くのは、鈍臭く粘着質な性格故かもしれない。

いかに省エネで、軽く生きるかをモットーにしている。
教師には
「あなたみたいに、要領良く生きようとする人が1番嫌いだ」
と言われたし、職場の上司には
「本気で努力した事ある?無いよね?ふざけてるの?」
と言われたりしてきた。

だが、私に言わせれば、目標に向かって1+1を積み上げで10000数えるような努力を美徳とする彼らとは、そもそも、思考のベクトルが違うので、関わりを持たない方がいいとすら思っている。

夏目漱石の「こころ」に出てくるKは、求道者になるというこだわりに囚われて身動きが取れなくなった。道を外した要因である、恋の道も閉ざされたため、死んでしまった。こつこつ積み上げてきた今までの道のりと、それを捨ててまで進もうとした恋の道のどちらも閉ざされて生きていけなくなったのだろう。

プロ野球 戦力外通告」に出てくる、人達のプロ野球への執着度合いが、理解できない反面、ほんのちょっと0.1ミリくらい羨ましくも思う。たまにある、プロ野球以外の道に進む選手の回がとても好きだ。

タイミングと調子と運と元々のポテンシャルに左右されるものに、しがみついて生きるのがおそろしい。
何かに人生を賭けることができない。ビビりで臆病ものなのだ。
なので、賭けて負けたものをみて、安心したいのかもしれない。

なんにせよ、毎日楽しく暮らせればそれでいい。

だが、最近職場に、無責任極まりない人物が現れた。
その行いを見るたび、尻拭いをするたびに、私も少し考えを直さなくてはと思うようになっていたりする。

責任主義をいっそやめちゃおうか??