フランス人じゃないから、服は沢山必要だったみたい。

 いらないものといるものの区別がつかない。ピカピカのあまり着ない服と、ヨレヨレの毎日着る服。どっちがお気に入りか?と聞かれたら答えに困る。だけれど明確に必要なのはヨレヨレになってしまった服である。だけれどそれを買い替えることをしないで新しいモノを求めてしまう。そしてまた服は増えていき、お金は減っていくのだ。

 

 最近は人のお買い物に付き添うことが多い。自分の物は全く買わず、人が買っていくのを見守るのみ。アドバイスも口出しも何もしない。見てるだけ。そして、買い終わったあとに、「良いものを買いましたね」というのみ。

 

何回もその現場に立ち会うたびに、自分の買い物について考えるようになっていく。

 

 人はいつも何かを求め、毎回妥協して同じような何かを買っていく。満たされない心を妥協で埋めているように見えて悲しくなる。私も買い物をしているときはそのような感じなのであろうか。

 

 そうして、妥協で手に入れてた何かは私のところに回って来ることが多い。それらは私をとても困らせる。だが、それらを処分するたび自分の持ち物について考える。自分が妥協して手に入れた物を見るたびに辛くなる。他人の妥協を受け入れることに疲れているくせに、自分自身が自分に妥協したものを与えていることを目の当たりにしているからだと思う。

 

 今まで白いコートを通算5枚以上貰った。けれども、私は白いコートを欲してはいない。白いコートが欠乏している風貌をしているのか?と悩んだが自分にとって不必要である。妥協していたら毎日白いコートばかり着ることになる。私は私に白いコートを与えたくない。

 

妥協し過ぎると、他人のゴミで自分が埋まってしまうぜ!白いコートしか着ることが出来ない。

 必要なモノだけが欲しい。

 

おわり